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東京都中央区の歴史
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所在地 東京都中央区銀座1-5-14 

京都の伏見稲荷から勧請したと言われている、江戸時代からの銀座1丁目の護り神。その昔太刀の市がたったことから太刀売稲荷と言われていた。縁結びのご利益がある神社として有名。
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所在地 中央区築地6-20先(東京都中央卸売市場築地市場)

 現在、中央卸売市場となっている一帯の土地は、かつて、江戸幕府の軍艦操練所があったところです。

 安政4年(1857年)4月、外洋航海の必要性から幕府は旗本、御家人、その他の希望者を集めて、航海術・海上砲術の講習およびオランダから購入した軍艦の運転を練習させる学校を設置しました。軍艦操練所と名付け、頭取(向井将監・勝海舟等が就任)以下、教授方出役・取調方等を任命しました。
 
 元和元年(1864年)に焼失して、南隣りの松平安芸守の屋敷に仮移転し、慶応2年(1866年)7月、海軍所と改称しました。同年11月、再び類焼して現在の浜離宮に移り、跡地には、日本最初の洋式ホテルである築地ホテル館が建ちました。

  平成11年(1999年)3月 中央区教育委員会



所在地 東京都中央区築地6-20-37(波除神社)

 すし塚の由来

すし 日本の風土に育ち日本の誰れもがこよなく愛し 自慢している食べ物 それが すし 永い永い伝統の中にある すし しかしその歴史の蔭にいくたの魚介が 身を提してくれたであろうか 世人の味覚をたのしませ そして また わたし達のたつきの基になってくれたさかなたち それらあまた魚介の霊を慰めとわに鎮まれしと祈り 而して永遠の食物としてのすしを表徴するため ここゆかりの地にすし塚を建てたゆえんである

 昭和47年(1972年)11月1日

組合設立20周年記念
発起人
大前錦次郎  須崎勝久  西川伊三郎
大野泰治  佳藤木一整  田中仁作
小倉一祐  酒井順一  今関義三郎
五十嵐信一  加原松之助  目崎国治
中原秀作  清水金造  関口寿夫
稲垣実  永谷友重  槁本正作
保佳辰太郎  高野新太郎  堀川喜美
田中好夫  若林東二  加藤亦助
飯塚一  木歩士正男  中川吉治
毛利鋼三  丸槁権八  永原徳
根津正雄  吉野曻雄  山根操
倉田華太郎  深井周二  佐藤安忠
森一郎

外4,200名組合員の総意により建之

 東京都鮨商環境衛生同業組合


所在地 東京都中央区築地6-20-37(波除神社)


 神田    天政
 銀座    天國
 神田    天米
 中野    天米
 有楽町  天米
 道潅山  天米  
 高円寺  天米
 富士市  天米
 京橋    天七
 横浜    天七
 湯島    天庄
 日本橋  天茂
 麹町    天重
 新川町  天勘
 新富町  さが和
 浅草    三定本店
 日本橋  京縣
 花川戸  金泉
 雷門    三祐
 八重洲  味覚
 築地    三ッ田
 赤坂    ひろ木
 北馬込  七環峠
 京橋    ヒゲの天平
 日本橋  本山
 銀座    茂竹
               いろは順

昭和48年(1973年)9月
  世話人 森龍 春原一雄 小黒春雄 中村国雄 福島金次


所在地 東京都中央区築地6-20-37(波除神社)

 東京築地魚市場活物組合 組合長 水留 石川留吉

  昭和58年(1983)5月吉日 建立


所在地 東京都中央区築地6-20-37(波除神社)


東京鶏卵加工業組合創立30周年記念

 すし玉青木
 玉露
 玉栄
 玉長
 玉八商店
 玉冨士
 玉峰商店
 玉吉
 大定
 大孫商店
 保坂商店
 本玉小島
 丸高
 丸武
 宮田商店
 山長松江
 山春食品
 山勇


所在地 東京都中央区築地6-20-37(波除神社)

 昭和48年(1973)7月 父之意を承け建之

     尾邦  三浦啓雄


所在地 東京都中央区日本橋本町4-4-13

両社稲荷神社奉賛会

  芳名者

長谷川正三
永井くに
湧井恭行
猪股亀三郎
海老原洋二
奥田宣男
荻野正徳
加藤守夫
木田宣男
佐々木隆綱
中島嘉彦
石川雅敏
佐々木勇三雄
菊池康之
関口六郎
森嵜功一
秋山和義
今津雅善
内山運平
小林是郎
中山純一
松下平雄
森口博
久保木登志雄

  平成5年(1993年)12月吉日 落慶


所在地 東京都中央区新川1-32

 明治33年(1900年)創立100周年を記念して之を建立する

     平成14年(2002年)5月 学校法人中央学院


   <建学の精神>

誠実に謙虚に生きよ
温かい心で人に接し
奉仕と感謝の心を忘れるな
常に身を慎み
反省と研鑽を忘れるな

    創立者  文学博士  高楠順次郎


所在地 中央区築地5-1-1

 海軍士官の養成校だった海軍兵学寮は明治2年(1872)、築地の旧広島藩邸跡に海軍操練所として誕生しました。翌年海軍兵学寮と改め、明治9年(1879)海軍兵学校と改称し、明治21年(1888)広島県江田島に移転。昭和9年(1934)旧地を記念するため、この碑が建てられました。なお、明治4年(1874)に竣工した校舎は海鼠壁(なまこかべ)に尾根瓦を配した建築様式で人々の瞠目を集め、のち海軍大学校の校舎として使用されました。

  中央区観光協会


所在地 中央区新富2-4

1985年(明治28年)9月英国より来日したライト大佐一行はこの地に日本最初の本堂を設け救世主軍活動を開始した。 1995年9月日本における救世軍創設百年を記念して設置する。      救世軍本営




『先ず人を造れ』山室軍平


所在地 中央区日本橋茅場町2-12

 地図御用所は、実測による初めての日本全図を作製したことで知られる伊能忠敬(1745~1818)の住居に設けられていました。
 伊能忠敬は、51歳の時にした下総国佐原(現在の千葉県佐原市)から江戸深川黒江町(現在の東京都江東区)に居宅を移し、幕府天文方高橋至時の門に入って天文学を学び始めました。
 寛政12年(1800)からは本格的に日本全国の測量をはじめ、以降17年間にわたって日本全国の沿岸を測量し、その総距離は約4万kmにも及んだといいます。
 文化11年(1814)、九州地方の測量から帰った伊能忠敬は、深川黒江町から八丁堀亀島町と呼ばれていた現在地付近へ転居しました。この屋敷の敷地は150坪ほどでしたが、伊能忠敬の居住地としてだけではなく、測量図を作製するための地図御用所として利用されていました。
 伊能忠敬は地図が完成する前の文政元年(1818)に亀島町の居宅で死去してしまいましたが、その後も伊能忠敬の居宅は地図御用所として使用され、文政4年(1821)門弟や天文方の下役等の手により「大日本沿海與地全図」が完成しました。

 平成17年3月  中央区教育委員会


所在地 中央区日本橋小伝馬町3-5 (大安楽寺)

  延命地蔵尊 ( 子育 息災 )

真言 おん かかかび さんまえい そわか

安政の大獄で名高い
吉田松陰を始めとする人々の
伝馬町牢、処刑場跡を供養するために建立された。

製作者 日展審査委員 横江嘉純 
 御縁日は24日

  大安楽寺


所在地 中央区日本橋小伝馬町3-5 (大安楽寺)

  江戸八臂弁財天 ( 学内 芸術 商売 )

江ノ島弁才天に三体あり
一、江ノ島神社  二、岩本桜  三、当弁財天なり
胎内には三体のミニ弁財天が納められ、他に十二体(大日如来、聖観音、不動明王等)
経典 金光明最勝王三巻も納められている。
   胎内は金色燦然と輝く
この弁財天、胎内の諸佛像は桧漆仕立
真言 おん そらそばていえい そわか

伝 北條政子の発願により作られる。
御縁日 巳の日
向って右 大聖歓喜天
向って左 大黒天    が祀られている。

  大安楽寺


所在地 中央区日本橋小伝馬町3-5 (大安楽寺)

 弁財天使神 ( 化石、 神居古潭、白蛇 )



北海道、石狩川神居古平潭峡の石
古来アイヌの酋長のシンボルとされ「撫で石として厄除、息災、招福の石として」信仰された。
化石の白蛇は己が弁財天の使であることから築地和田久より寄贈された。

  大安楽寺


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