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東京都中央区の歴史
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所在地 中央区日本橋箱崎町9 中央区新川1-19・20

 (区民有形文化財)

 現在の豊海橋は、大正15年(1926年)5月起工、昭和2年(1927年)9月竣工。

 日本橋川が隅田川に流入する河口部の第一橋梁です。橋の歴史は古く、江戸時代中期には豊海橋(別名「乙女橋」)がありました。この辺りは新堀河岸と呼ばれ、諸国から廻船で江戸に運ばれた酒を陸上げする所で、川に沿って白壁の酒倉が並んでいました。

 明治期に豊海橋は鉄橋になり、大正12年(1923年)の関東大震災で落橋してしまいました。復興局は新規に設計を土木部の田中豊に依頼、実際の設計図は若手の福田武雄が担当。隅田川支流の河口部の第一橋梁はデザインを一つ一つ変えて区別しやすく工夫していました。それは隅田川から帰港する船頭に対する配慮でした。

 福田武雄はドイツ人フィーレンデールの案出した橋梁デザインを採用し、梯子を横倒しにした様な外観で重量感ある豊海橋を完成しました。この様式は日本では数ヵ所あるのみで近代の土木遺産としても貴重な橋で、区民有形文化財に登録されています。

 

 

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所在地 東京都中央区日本橋箱崎町19

明治15年(1882年)10月10日、日本銀行はこの地で開業した。

明治29年(1896年)4月、日本橋本石町の現在地に移転した。

創業100周年を記念してこの碑を建てる

昭和57年(1982年)10月 日本銀行総裁 前川春雄

所在地 中央区日本橋箱崎町36・江東区

橋下  隅田川

架橋年月  昭和54年(1979年)11月

橋長  210.3m

 隅田川大橋は、高速道路(9号線)と、都道475号線が重なった、珍しい橋である。
 箱崎町は、吹く区は大名屋敷のならぶ、隅田川三角州のひとつであったが、維新後には、最初の日本銀行が建てられた地であり、また倉庫や住宅地でもあった。現在は、箱崎川が埋立てられ、高速道路のインターチェンジと、成田空港に行くエアーターミナルが設けられた。街もまたビルやマンションの立ちならぶ、交通量の多いところとなって、昔の俤(おもかげ)はない。
 対岸の深川は、社寺の多い街として発展し、以前は木場でも有名であった。わが国最初のセメント工場跡も近い。
 昭和54年(1979)10月に完成したこの橋は、京浜・京葉地帯を結ぶ湾岸道路に通じ、隅田川十五橋の中では、形も役割も得意な橋となることであろう。
 昭和59年(1984)3月  東京都



所在地 中央区日本橋箱崎町18 (区立箱崎公園) 

  吉田松陰像
 現在の水天宮ピットの場所が、旧東京市箱崎尋常小学校として使われていた昭和12年(1937)の末、当時6年生の児童であった岩井光子さんが病気で亡くなった。
 光子さんは成績優秀なうえ、特に吉田松陰の生き方に深く感銘を受けており、亡くなる前に自分の貯金で、学校内に吉田松陰の銅像を立ててくれるよう両親に遺言を残した。
 両親は生活が苦しい中でこの遺言を実現し、昭和13年(1938)3月22日に除幕式が盛大に催された。当時この話は教育美談として東京日日新聞に表彰され、時の文部大臣や東京市の関係者など多数が参列した。吉田松陰像は竹山蘭山が製作するとともに、話に感銘を受けた当時の海軍大将高橋三吉が台座の「松陰先生」の文字を揮毫した。
 昭和19年(1944)4月、小学校は全自動が戦火を逃れるため疎開したのち廃校となったが、吉田松陰像は同じ場所で日本橋箱崎町の変遷を見守り続けてきた。
 平成22年度に都立日本橋高校の移転と箱崎公園改修工事にあわせ、吉田松陰像をこれまで以上に町の方々に親しんでいただくため、この場所に移設することとなった。
 平成23年(2011)3月

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