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東京都中央区の歴史
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所在地 東京都中央区日本橋兜町2-1

 東京証券取引所の前身、東京株式取引所は明治11年(1878年)の開所。東京証券取引所を名乗ったのは昭和24年(1949年)のこと。

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所在地 中央区日本橋兜町4-3

 この地は明治6年6月11日(1873年)、わが国最初の銀行である第一国立銀行が創立されたところである。

 

 

所在地 中央区日本橋兜町1-8 (兜神社)

 現在兜神社前左にある兜岩の由来には、下記の諸説がある。

<一> 

 源義家奥州より凱旋の際、東夷鎮定のため、兜を楓川のほとりに埋め一魂の塚となし、これを兜塚といった。

<二>

 前九年の役(ぜんくねんのえき)(奥州十二年合戦)(1051~1062)の頃、源義家が東征のみぎり岩に兜を縣けて戦勝を祈願したことからこの岩を兜岩と呼ぶようになった。

<三>

 俵藤太秀郷(=藤原秀郷)、平親王(平将門の尊称、天慶3年(940年)2月14日戦死)の首を打って兜に添へて是まで持来れるが、兜をば茲に埋めて塚となし兜山と云う。

所在地 中央区日本橋兜町・中央区日本橋茅場町・中央区日本橋小網町

 鎧の渡しは、江戸時代の元禄年間(1688~1704)以来の切絵図や地誌類にも記される日本橋川の渡し場で、明治5年(1872年)に鎧橋が架けられるまで存続しました。
 伝説によると、平安の昔、源頼義が奥州平定の途中、ここで暴風逆浪にあい、鎧を海中に投げ入れ竜神に祈りを捧げたところ、無事に渡ることができたので、以来ここを鎧が淵と呼んだといわれています。また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています。
 「江戸名所図会」や安藤広重の「江戸名所百景」には、渡しの図が描かれ、このほか、この渡しを詠んだ俳句や狂歌等も知られています。

 縁日に 買うてぞ帰る おもだかも
  
逆さにうつる 鎧のわたし
               
和朝亭国盛

所在地 中央区日本橋兜町1-8

 江戸時代、弘化2年(1845年)版の「楓川鎧の渡古跡考」の地図に、牧野亭の東北隅鎧の渡附近に鎧稲荷(平将門を祭ったのが起源ともいわれている。)と兜塚が描かれており、この頃既に当地の鎮守として又魚河岸へ出入りする漁民により信仰を集めていた。

 明治4年(1871年)、東京商社(三井物産の前身にあたる商事会社)の移転に伴い、鎧稲荷と兜塚鎧の渡と兜橋の中間に遷された。この時兜塚として祭られていた源義家公の御神霊を、兜神社として社を創建して祀り、更にこの神社は鎧稲荷と合併して、新たに兜町の鎮守・兜神社として定められた。

 明治7年(1874年)、お祀りする祭神に変更があって、祭神源義家公の祭祀を廃止して、新たに三井家(兜町1丁目の土地を所有する地主)の信仰していた三囲稲荷神社(みめぐりいなりじんじゃ)(墨田区向島2丁目に鎮座)の境内摂社である福神社より大国主命(おおくにぬしのみこと)と事代主命(ことしろぬしのみこと)のご分霊を勧請して合祀した。

 明治11年(1878年)、東京株式取引所の設立に伴い、当取引所が兜神社の氏子総代となり以来証券界からの信仰を集めるようになる。

 昭和2年(1927年)、日本橋川と楓川の分岐点の角地・兜橋東詰北側の62坪の敷地(現在の場所)に再度移転し、鉄筋コンクリート造りの社殿を造営した。

 昭和46年(1971年)、高速道路の建設に伴い旧社殿を解体し、現在の鉄筋コンクリート、一間社流造(いっけんしゃながれづくり)・向排(ごはい)付きの社殿を造営し現在に至っている。

<御祭神>

主なる祭神は商業の守護神とたたえまつる倉稲魂命(うかのみたまのみこと)(=稲荷神の別名)。合祀の神は右に大国主命(おおくにぬしのみこと)(=大黒様)、左に事代主命(ことしろぬしのみこと)(=恵比寿様)をまつる。

<祭儀>

毎年4月1日に例大祭がとり行われる

<御神体>

神石(京都伏見稲荷の神体山の神石)

<御神札> 

太政大臣三条実美公(太政大臣在任期間 明治4年~明治18年)の御社号を染筆した神札が奉納されている。

所在地 東京都中央区日本橋兜町15

 坂本町公園は、明治22年(1889年)に東京における最初の市街地小公園の先駆けとして、この地(旧日本橋区坂本町)に開園した。開園当時は、樹木うっそうとし風雅な涼亭を備えた和風庭園だったが、関東大震災によって全焼し、震災後避難民収容施設、仮校舎等の敷地に使用され、非常時における都市公園の機能が十分発揮された。その後復興事業により区画整理され、小学校と公園とが一体的に利用できる、児童コーナーを設けた洋風の公園になった。太平洋戦争時、東京大空襲によって再び焼失。戦後、戦災者用仮設住宅の敷地として使用され、その後児童公園として、様々な改良整備が行われ現在の公園になる。

明治時代の坂本町公園[明治22年(1889年)]

 当時の坂本町公園は、現在の公園よりも広く桜や梅、柳の木が多かったと記録されています。公園の中央には東屋がありました。



所在地 中央区日本橋兜町15-18

 創立明治6年(1873)3月
    第一番官立小学 阪本学校
 中央区立阪本小学校は、明治4年(1871)の文部省設置及び明治5年(1872)の「学制布告」により、明治6年(1873)3月、「第一大学区 第一中学区 第一番官立小学 阪本学校」として創立、明治6年(1873)5月7日に開校式が挙行された。
 我が国の公立学校の創生期において「一、一、一」を冠した小学校は日本中でも阪本小学校だけであり、「一番学校」としての伝統と歴史を引き継いでいる。
 明治28年(1895)に附属幼稚園が開園された。

現校舎は、細川藩下屋敷跡に立地。
大正12年(1923)関東大震災後、昭和3年(1928)3月に落成した。
尚 文豪・谷崎潤一郎、本宮内大臣・石渡荘太郎、元一橋大学長・山中篤太郎、歌舞伎名優・左団次、桶屋六左衛門ほか、多数を輩出している。
 中央区立 阪本小学校

    学制布告(明治5年〔1872〕8月)
全国を8大学区に分別、各大学区に1本部、各大学区を32中学区、各中学区を210小学区に分別(後に、改訂)
第1大学区:東京・関東地方・山梨・一部静岡
第2大学区:愛知・岐阜・三重・一部静岡
第3大学区:石川・福井・富山・一部長野・岐阜
第4大学区:近畿地方・岡山・一部四国地方
第5大学区:中国地方・一部四国地方
第6大学区:九州地方
第7大学区:新潟・長野・山形・一部福島
第8大学区:東北地方


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