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東京都中央区の歴史
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所在地 中央区勝どき1丁目 月島3丁目

 江戸・東京の水上交通の大動脈であった隅田川は、今から100年程前、年々堆積する土砂により、船舶の往来が困難となった。

 そのため、明治20年(1887年)東京府は、隅田川の浚渫を始め、その土砂で埋立造成されたのが、現在の月島である。

 明治25年(1892年)に月島1号地(現月島)、明治27年(1894)に月島2号地(現勝どき)、明治29年(1896年)に新佃島(現佃3丁目)が、次々に誕生した。この1号地と2号地の間の月島川に架かる橋の一つが、西仲橋である。

 中央区では平成4年度に、かつて海であった月島をイメージさせるため、江戸湊の波を浮世絵風に表現した高欄等の整備をし、橋全体として美しい波形を描き出している。

 西仲橋は、人々が集い、語り合い、ふれあうことができる、月島の新しいシンボルとして生まれ変わり、歴史と文化を後世に伝えるためのかけ橋となるものである。

 

形式 三径間鋼ゲルバー桁橋

橋長 43.2m

有効幅員 11.0m(車道6.0m 歩道2.5m×2)

建設年次 昭和31年(1956年)5月

施工主 東京都

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所在地 中央区月島3-4-11

 月島観音堂の地は、今から50年の昔、この地の篤志家柴崎家(仙台輔氏)のご芳志により寄進を受けたものである。

 ご本尊は、当地の長谷川高次郎氏秘蔵の観世音菩薩を信州善光寺大本願に於いて入魂した上で、一光三尊如来と共に下附されこれを本堂に安置し、本誓殿の称号を授与され、爾来講中の世話人心をこめて守護し今日に至っているものである。

 この堂に参詣するもの、いつの間にか運が開けあらゆる念願が成就すると言われ、その中でも、失せものが見つかり、病気の平癒には極めて霊顕あらかたなるものありとの話が伝わり月島開運観世音の名は一層高まっている。

【 灯篭流し供養 】  7月17日 



所在地 東京都中央区月島3-24-10(わたし公園)

 「月島の渡し」は、月島一号地の埋立が完成して間もない明治25年(1892年)11月、土木請負業の鈴木由三郎が、南飯田町(現、明石町14)から月島(現、月島3丁目)へ、手漕ぎの船で私設の有料渡船をはじめたことにはじまるといいます(『月島発展史』)。明治34年(1901年)、月島への交通の重要性を考慮した東京市が市営化を決め、翌明治35年(1902年)、汽船曳船二隻で交互運転を開始し、渡賃も無料となりました。月島は東京の臨海工業地帯として発展し、明治44年(1911年)には、乗客の増加に対応するために徹夜渡船が開始されました。

 その後、昭和15年(1940年)には勝鬨橋が架橋され、渡船の利用者は減少の一途をたどり、月島の渡しは廃止されることとなりました。

  平成13年(2001年)3月 中央区教育委員会



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