忍者ブログ
東京都中央区の歴史
[46] [47] [48] [49] [50] [51] [52] [53] [54] [56] [57]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

所在地 中央区日本橋小伝馬町5-2

 江戸の牢屋敷は慶長18年(1613年)に、常磐橋外からこの小伝馬町に移転した。代々与力格の石出帯刀が牢屋敷預りに任命されており、管理していた。そして、明治8年(1875年)5月廃止されるまで存続していたものである。

 「御府内備考」の記録によれば、その規模の広大であったことがわかる。すなわち、面積は2,618坪(8639.4㎡)あり、さらに、これの敷地の4方を堀でめぐらしていた。南西部に表門があった。獄舎は、揚座敷、揚場、大牢および女牢部屋に分かれ、明暦3年(1657年)の収容囚人は130人であり、安政の大獄(1859年)には吉田松陰ら50余名が収容されたこともある。

PR

コメント


コメントフォーム
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字


トラックバック
この記事にトラックバックする:


忍者ブログ [PR]
サイト内検索
アクセス解析
プロフィール
HN:
永山
性別:
男性