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東京都中央区の歴史
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所在地 中央区日本橋堀留町1-10-2

  椙森神社すぎのもりじんじゃ

 日本橋七福神 恵比寿神


中央区民文化財
 椙森神社の社殿と富札

 椙森神社(すぎのもりじんじゃ)の創建は、社伝によれば平安時代(794~11925)に平将門の乱(935年)を鎮定するために、藤原秀郷が戦勝祈願をした所といわれています。
 
室町中期には江戸城の太田道灌が雨乞い祈願のために山城国(京都府)伏見稲荷の伍社の神を勧請して厚く信仰した神社でした。そのために江戸時代には、江戸城下の三森(烏森柳森・椙森)の一つに数えられ、椙森稲荷と呼ばれて、江戸庶民の信仰を集めました。
 
しばしば江戸城下等の火災で寺社が焼失し、その債権の費用のために、有力寺社で当たりくじである富興行が行われ、当社の富も人々に親しまれていました。
 
明治維新後も、東京市中の古社として盛んに信仰されましたが、惜しくも関東大震災(1923年)で全焼し、現在の社殿は昭和6年(1931年)に耐震構造の鉄筋造りで再建されました。
 
境内には富塚の碑(富塚碑)が鳥居の脇に立ち、当社で行われた富興行をしのんで大正八年に建てられたもの、(昭和28年(1953)再建)で、富札も残されており、社殿と共に中央区民文化財に登録されています。

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