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東京都中央区の歴史
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所在地 中央区日本橋小伝馬町5-2

 江戸の牢屋敷は慶長18年(1613年)に、常磐橋外からこの小伝馬町に移転した。代々与力格の石出帯刀が牢屋敷預りに任命されており、管理していた。そして、明治8年(1875年)5月廃止されるまで存続していたものである。

 「御府内備考」の記録によれば、その規模の広大であったことがわかる。すなわち、面積は2,618坪(8639.4㎡)あり、さらに、これの敷地の4方を堀でめぐらしていた。南西部に表門があった。獄舎は、揚座敷、揚場、大牢および女牢部屋に分かれ、明暦3年(1657年)の収容囚人は130人であり、安政の大獄(1859年)には吉田松陰ら50余名が収容されたこともある。

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