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東京都中央区の歴史
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所在地 中央区日本橋兜町1-8

 江戸時代、弘化2年(1845年)版の「楓川鎧の渡古跡考」の地図に、牧野亭の東北隅鎧の渡附近に鎧稲荷(平将門を祭ったのが起源ともいわれている。)と兜塚が描かれており、この頃既に当地の鎮守として又魚河岸へ出入りする漁民により信仰を集めていた。

 明治4年(1871年)、東京商社(三井物産の前身にあたる商事会社)の移転に伴い、鎧稲荷と兜塚鎧の渡と兜橋の中間に遷された。この時兜塚として祭られていた源義家公の御神霊を、兜神社として社を創建して祀り、更にこの神社は鎧稲荷と合併して、新たに兜町の鎮守・兜神社として定められた。

 明治7年(1874年)、お祀りする祭神に変更があって、祭神源義家公の祭祀を廃止して、新たに三井家(兜町1丁目の土地を所有する地主)の信仰していた三囲稲荷神社(みめぐりいなりじんじゃ)(墨田区向島2丁目に鎮座)の境内摂社である福神社より大国主命(おおくにぬしのみこと)と事代主命(ことしろぬしのみこと)のご分霊を勧請して合祀した。

 明治11年(1878年)、東京株式取引所の設立に伴い、当取引所が兜神社の氏子総代となり以来証券界からの信仰を集めるようになる。

 昭和2年(1927年)、日本橋川と楓川の分岐点の角地・兜橋東詰北側の62坪の敷地(現在の場所)に再度移転し、鉄筋コンクリート造りの社殿を造営した。

 昭和46年(1971年)、高速道路の建設に伴い旧社殿を解体し、現在の鉄筋コンクリート、一間社流造(いっけんしゃながれづくり)・向排(ごはい)付きの社殿を造営し現在に至っている。

<御祭神>

主なる祭神は商業の守護神とたたえまつる倉稲魂命(うかのみたまのみこと)(=稲荷神の別名)。合祀の神は右に大国主命(おおくにぬしのみこと)(=大黒様)、左に事代主命(ことしろぬしのみこと)(=恵比寿様)をまつる。

<祭儀>

毎年4月1日に例大祭がとり行われる

<御神体>

神石(京都伏見稲荷の神体山の神石)

<御神札> 

太政大臣三条実美公(太政大臣在任期間 明治4年~明治18年)の御社号を染筆した神札が奉納されている。

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