東京都中央区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 弾正橋は古く江戸寛永年間には既に、楓川上にかかっているのが記されており、北八丁堀に島田弾正少弼屋敷があったのがその名の由来のようである。弾正橋は当時交差した堀川上に真福寺橋、白魚橋と共に三つの橋がコの字状に架けられていたことから、江戸名所図会に「三ツ橋」として紹介されており、江戸における一つの名物であったようである。 その後たびたび架替えられたが、明治11年(1878年)に工部省の手により、我が国最初の国産の鉄を使った橋として架替えられた。その時の橋は現在でも江東区富岡1丁目に保存され、昭和52年(1977年)に国の重要文化財として指定され、平成元年(1989年)にはアメリカ土木学会の栄誉賞も受ける等その歴史的貴重さを増している。 現在の橋は大正15年(1926年)12月に復興局によって架替えられたもので、従来の弾正橋よりやや北側に位置している。その後昭和39年(1964年)の東京オリンピックの時に、弾正橋の西側に公園が造成され、平成5年(1993年)2月に公園と一体化された。くつろぎのある橋として再整備された。尚、公園にあるモニュメントは、明治11年(1878年)、楓川に架かる弾正橋を象徴化して復元したものである。 PR |
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永山
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