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東京都中央区の歴史
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所在地 東京都中央区銀座3-8-12

 朝日稲荷神社は古来より当地に鎮座し守護神として厚く奉斎され、遠近の崇敬を集めていた。しkしながら、安政の大地震により社殿倒壊し、三十間堀に幽没して以来、社地は荒廃し浮浪の徒付近に散集して見るかげもなかった。

 大正6年(1917年)、銀座を襲った大海嘯によって、三十間堀より霊体が顕れた。建築業館岡其が当地に奉安したが、関東大震災により転地を余儀なくなくされ、神社は銀座三丁目町会の奉斎するところとなった。町内崇敬者一同神威を畏み奉り、町内守護神として奉斎しようとしたが、当時社地は東京市有地に編入され東京市の管理化にあった。三丁目崇敬者は時の東京市助役を訪ね、社地の下附を懇願したが叶わなかった。しかしながら、土地使用黙許の許可を得、社殿が建立され、社地は整えられた。初午が盛大に祝われ、縁日は四丁目の出世地蔵尊のそれと伍して多くの人々を集めた。こうした町内守護神として広大な神徳を顕わすにいたったが、戦災のため社殿はことごとく烏有に帰した。

 戦後社殿を再建し、昭和27年(1952年)宗教法人朝日稲荷神社となる。以後三丁目町内会によって厚く奉斎され、その神威はいいや増して広文、信心する者にあまねく守護を及ぼしている。

 昭和58年(1983年)、隣地の大広ビル改築にともない、共同ビルを建築するにいたった。ビル一部の1・2階を吹抜け拝殿とし、本殿を屋上に安置したが、パイプにより大地につながり、拝殿での参拝が本殿に届くよう工夫されている。時代に先駆ける銀座の地にふさわしい神社となった。

 毎年初午に盛大に祭を催しまた、大銀座まつりの際は銀座八丁神社巡りの札所として、銀座三丁目にとどまらず、多くの人々の崇敬を集めている。

 商業の神として商売繁盛はもとより、当地に鎮座して以来火災なく、また縁結び、家内円満にもその神威はとどまるところを知らない。

     昭和63年(1988年) 銀座三丁目会

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