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東京都中央区の歴史
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所在地 中央区日本橋3丁目・京橋1丁目先

 日蘭修好380周年記念碑

 日本とオランダの関係は、ウイリアム・アダムスやヤン・ヨーステンらの来航によって始まった。慶長14年(1609年)平戸にオランダ商館が設立され(後に長崎に移る)、鎖国時代の日本のヨーロッパに対する唯一の窓口になり続けた。オランダがもたらした学術・文物が日本に与えた影響は大きく、明治以後の日本近代化の大きな礎になった。

 とくに中央区とオランダとの歴史的な関係も深く、日蘭修好380年を記念してここにモニュメントを設置し、永久にこの友好を保存するものである。

        1989年4月200日  東京都中央区

 

 二つの羅針盤の輪が天球儀の形に組み合わされています。

 羅針盤は、当時世界をリードしていたオランダの航海技術の象徴であり、また天球儀は”時”の象徴でもあります。

 左側の頭部がヤン・ヨーステん像、右側の帆船が日本漂着の際、彼が乗り組んでいたとされるオランダ船リーフデ号です。中央上部には当時のオランダの国策会社東インド会社のマークが置かれています。中央下部の図柄は、古地図で方角を示すのに使われたもので太陽をモチーフにしています。四隅は波=海を図案化したもので、これも古地図にヒントを得ています。

 

 

 < ヤン・ヨーステン(1557頃~1623) >

 慶長5年(1600年)、オランダ船リーフデ号でウイリアム・アダムスらと豊後に漂着した。そのまま日本に留まり、徳川家康の信任を得て、外交や貿易について進言する役目についた。彼の江戸屋敷現在の和田倉門~日比谷公園間の内濠の沿岸に与えられ、この地が彼の名にちなんで八代洲河岸(やよすがし)と呼ばれて、明治まで続いた。現在は中央区八重洲としてヤン・ヨーステンに因む地名が残っている。

       ヤン・ヨーステン像:オランダ人 L.P.プラート作

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