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東京都中央区の歴史
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所在地 東京都中央区新川2-31先

 <水準原点とは>

 現在日本の水準原点は、測量法施行令第2条により東京都千代田区永田町1丁目1番地内にある日本水準点で、その高さは東京湾平均海面上24.4140mと定められています。

(東京湾平均海面をT.P.0mとして算定しています。)

この水準原点の高さに基づいて、例えば、山の高さや土地の高さが「標高○○m」というように求められているのです。

 <日本の近代測量と霊岸島水位観測所について>

 日本の近代測量は明治初期に始まりました。当時の測量方法は主要河川の河口部に水位を測るための「量水標」を設け測量を行うときには近くの「量水標」の平均海面データを用いていました。「量水標」の主なものは、明治5年(1872年)に利根川河口の「銚子量水標」が日本初で、翌明治6年(1873年)にここ霊岸島に、明治7年(1874年)に江戸川と淀川の河口にと、全国の主要河川でそれぞれ設置されました。

 霊岸島水位観測所の零位は、A.P.0m(エーピーゼロ、A.P.はArakawa Peilの略、Peilはオランダ語で「基準」あるいは「標準」の意)と呼ばれるようになりました。

 その後、測量技術などの進歩に伴い、平均海面のデータの全国統一が考えられ、そのとき選ばれたのがここ霊岸島水位観測所だったのです。

 <東京湾平均海面と日本水準原点>

 平均海面を算出するために霊岸島水位観測所で明治6年(1873年)6月から明治12年(1879年)12月の間、4ヶ月間の欠測を除き6年3ヶ月の毎日の満潮位と干潮位を測定しその平均値を求め、さらにその平均値を算出したのです。そのときの値が霊岸島水位標の読み値で1.1344mでした。これを東京湾平均海面すなわちT.P.0mとし全国の高さの基準として定めたのです。そしてその後の明治24年(1891年)5月に東京都千代田区永田町に「日本水準原点」が設置され、このとき霊岸島水位観測所から原点までの水準測量を行い、日本水準原点の高さ24.5000mを基準点としたのです。しかしこの値は、大正12年(1923年)に起きた関東大震災の影響により昭和3年(1928年)に24.4140mに改訂され現在に至っています。

 

 <現在の霊岸島水位観測所>

 日本の水準原点を生んだ霊岸島水位観測所も、その後の東京湾の埋立てや隅田川の河川水の影響があり、水準原点の検証をするための観測所としては、理想的な位置とは言えなくなり、現在では神奈川県三浦半島油壺の観測所にその機能が移されています。

 現在の霊岸島水位観測所は、荒川水系の工事実施基本計画や改修計画の策定及び改訂のための基礎データの観測を続けていますが、隅田川のテラス護岸の施行に伴い平成6年(1994年)5月に元の位置から約36m下流に観測所を移設しました。

 元の観測所の位置には、その歴史的経緯を長く後世に伝えるため、観測柱を正面にシンボル柱として設置しました。また、新しい観測所の3角形のフレームは、土木や建築の設計図などに高さを表す記号として用いられる▽をイメージし、その下端部はA.P.0mを指し、その一辺の長さは観測所位置のある東経139°47’にちなみ13.947mとしています。

 観測室については、斜方十二面体という形で立方体それぞれの面に勾配45°の四角錐を付加したような形をしていて、川に沿って視点を移動していくと正方形、正六角形、八角形と変化して見えるものです。

            建設省関東地方建設局

            荒川下流工事事務所

 

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