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東京都中央区の歴史
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所在地 中央区佃1-1-14 (住吉神社)

 水谷緑亭(1787~1858)は、南茅場町(現在の日本橋茅場町1丁目)に生まれ、本名を金蔵といいました。幼い時に父を亡くし、佃島の漁師太平次に養われ、佃島の名手をつとめたと伝えられています。また、養父母に孝養を尽くし、佃島の風俗を矯正した功績などにより、町奉行所から三度にわたり褒章を受けました。
 文化年間(1804~1818)初めに二世川柳柄井弥惣右衛門の門に入り、川柳を学び、腥斎佃(なまぐさいたつくり)と号しています。二世没後は四世川柳人見周助に学び、天保8年(1837年)50歳の時に五世川柳を継承しました。
 五世嗣号の翌年には、初世川柳以来続いた『誹風柳多留』が、167編で刊行を終えますが、天保12年(1841年)から『新編柳多留』を刊行し、嘉永2年(1849年)の終刊まで55編を数えました。緑亭は、この間に川柳の式法を作り、晩年に『柳風狂句』と名付けています。
 編著には『狂句百味篳筒』をはじめ『住吉社奉額狂句会』等があります。文筆業に長じ、川柳とは別に著作も多く、『遊仙沓春雨草子』『祥瑞白菊物語』などの草双紙や、『俳人百家撰』などの伝記物等も著しています。
 この句碑は、昭和41年(1966年)11月に佃の人々によって建立されたもので、
 『 和らかで かたく持ちたし 人ごころ 』
と緑亭の句が刻まれています。
  中央区教育委員会

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