東京都中央区の歴史
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この橋は、霊巌島(現在の新川地区で通称こんにゃく島と呼ばれていた。)と対岸の箱崎地区の埋立地(隅田川の中洲)とを結ぶために、延宝7年(1679年)に架けられました。 この地域は、江戸時代から水路交通の要所として栄え、とくに江戸と関西を結んで樽廻船によって酒樽が輸送されていました。「江戸名所図会」によるとこの橋は、当時の湊町を形成した日本橋川河口の繁栄を象徴しており、また橋をはさんだ川岸には倉庫が建ち並び、当時の賑わいが偲ばれます。 橋名の由来については、江戸湊の出入口にあったところから、湊橋と名付けられたものです。 現在の橋は、関東大震災の復興期に再建されたもので、平成元年度の整備事業において、装いを新たにしました。 <型式> 三径間コンクリートアーチ橋 <橋長> 49.68m <有効幅員> 18m(車道11m 歩道3.5m×2) <竣工> 昭和3年(1928年)6月 <竣工費> 208,000円
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