東京都中央区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 「月島の渡し」は、月島一号地の埋立が完成して間もない明治25年(1892年)11月、土木請負業の鈴木由三郎が、南飯田町(現、明石町14)から月島(現、月島3丁目)へ、手漕ぎの船で私設の有料渡船をはじめたことにはじまるといいます(『月島発展史』)。明治34年(1901年)、月島への交通の重要性を考慮した東京市が市営化を決め、翌明治35年(1902年)、汽船曳船二隻で交互運転を開始し、渡賃も無料となりました。月島は東京の臨海工業地帯として発展し、明治44年(1911年)には、乗客の増加に対応するために徹夜渡船が開始されました。 その後、昭和15年(1940年)には勝鬨橋が架橋され、渡船の利用者は減少の一途をたどり、月島の渡しは廃止されることとなりました。 平成13年(2001年)3月 中央区教育委員会 PR |
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永山
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男性
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