東京都中央区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 中央区民有形文化財 柳橋は神田川が隅田川に流入する河口部に位置する第一橋梁です。 その起源は江戸時代の中頃で、当時は、下柳原同朋町(中央区)と対岸の下平右衛門町(台東区)とは渡舟で往き来していましたが、不便なので元禄10年(1697年)に南町奉行所に架橋を願い出て許可され、翌元禄11年(1698年)に完成しました。 その頃の柳橋辺りは隅田川の舟遊び客の船宿が多く、”柳橋川へ蒲団をほうり込み”と川柳に見られる様な賑わいぶりでした。 明治20年(1887年)に鋼鉄橋になり、その柳橋は大正12年(1923年)の関東大震災で落ちてしまいました。復興局は支流河口部の第一橋梁には船頭の帰港の便を考えて各々デザインを変化させる工夫をしています。柳橋はドイツ、ライン河の橋を参考にした永代橋のデザインを採り入れ、昭和4年(1929年)に完成しました。 完成から70余年、現在、区内では復興橋梁も少なくなり、柳橋は貴重な近代の土木遺産として平成3年(1991年)に整備し、平成11年(1999年)に区民有形文化財に登録されています。 平成14年(2002年)3月 中央区教育委員会 PR |
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永山
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