所在地 中央区東日本橋2-6-8 (薬研堀不動院)
遠く江戸時代の中頃より江戸の街では12月に入ると各地で歳の市がたった。
歳の市とは門松、しめ縄飾り、羽子板等の正月用品を売る市を云う。かつて東京の歳の市は12月14日15日の深川八幡に始まり、浅草観音、神田明神、芝の愛宕神社、平河天神、湯島天神の両天神を廻って最後は28八日の薬研堀不動尊で終り、特にこの市を薬研堀不動尊納めの歳の市と言われた。初めの頃は梅の盆栽が売られ梅の市とも呼んでいた。戦前は、何十軒もの羽子板屋が薬研堀不動院門前に並び、横町には神佛具、臼、杵、まな板、ざる、箒等の迎春用品の露天が出店し当時の千代田小学校の通りには「がさ市」が立ちしめ飾り門松、竹、海老、こんぶ等が威勢よく売られ、身動き出来ぬ位の人出に下町情緒豊かな歳末風景がみられた。
先の大戦の頃は、戦火の拡大と共に、一時中断してしまい戦後なんとか復活させたものの時勢に合わずさびれる一方であった。
時移りようやく昭和40年(1965年)、地元の町会商店会の有志が是非とも江戸以来の伝統行事下町の風物詩をしっかりと後世に残すべきと「薬研堀不動尊 歳の市保存会」を組織して同時に近隣問屋街とも協賛し、衣料品、日用雑貨等を市価の半額で販売する「大出庫市」を併催することとなり、苦心経営の末、最近になってようやく往時の賑わいを取り戻すことが出来た。有り難いことです。
又、想いめぐらせば、戦前戦後を通じて、本院の大本山である川崎大使平間寺の厚いご加護を一貫して賑わったことも復興への銘記すべき事柄である。
本年は、大出庫市を併催して丁度30年の節目に当るので、歳の市復活に情熱を燃やした先人達を偲び、この町の今日までの歳の市への過ぎ越し方をこの碑に留め一つの証とする。
平成8年(1996年)4月15日
PR