東京都中央区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 新亀島橋が初めて架けられたのは、明治15年(1882年)3月、長さ十五間(約27m)、幅三間(約5.4m)の木橋であったと記録されています。その後、大正15年(1926年)3月に関東大震災(1923年)の復興事業により鋼桁の近代橋として架け替えられ、幅も15mと3倍近くに広がりました。 新亀島橋の名前は、この橋の下流に位置し、元禄の時代から架かる亀島橋に対して新の字を冠し、新亀島橋と名が付けられました。 茅場町側の橋詰付近は、昭和の初め頃まで亀島町と呼ばれており、その昔、瓶を売るものが多かったことに由来し、瓶島町がその起こりといわれています。江戸時代には町奉行配下の与力たちの屋敷が並び、また亀島川に臨む亀島町は水運を活用していたであろう米穀問屋が多い町でした。 新川側は、菱垣廻船や樽廻船が往来し、上方から来る下り酒と呼ばれる酒を扱う酒問屋で賑わいを見せ「江戸新川は酒問屋をもって天下に知られ」と言われるほどでした。 時代は平成となり、亀島川の耐震護岸整備の一環として生まれ変わった新亀島橋は、地域の亀島川の歴史的な関わりを基調として、「廻船」をモチーフにデザインされました。「歴史と文化を後世に伝える架け橋」として、江戸情緒をたっぷり取り入れ、各所に浮世絵風の意匠を凝らしています。 橋長 30.5m 有効幅員 15.0m(車道9.0m 歩道3.0m×2) 型式 鋼床版ラーメン橋 建設年次 平成7年(1995年)8月 PR
鎧橋
写真は明治24年の鎧橋だと思います。昭和24年の鎧橋は中央に複線の都電線路、左右にそれぞれ車道一車線がありましたが 人と荷物電車(旧式の小型車両)以外は通行止め、西側に人と自転車と荷車用の木製仮橋がありました。
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永山
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