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東京都中央区の歴史
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所在地 中央区日本橋人形町3-8-6

  橘稲荷神社
 このあたり江戸期に新和泉町といわれたが、将軍家御典医・岡本玄冶の邸があったことから、一帯を玄冶店と俗称した。
 当稲荷ははじめ御殿山にあったものが、のちに江戸城内へ移り、さらに玄冶に賜って当地へ移された。
 稲荷名の橘は岡本家の姓に因んだとされる。
 安政6年(1859)の尾張屋清七板古地図では、現在地よりやや北側に記されている。
 数百年に亘り、素朴な信仰の対象として土地の人々により守り継がれて来た。特定の個人や企業の所有ではなく、町のお稲荷さんとして親しまれている。
 大正以降、運よく震災・戦災を免れて来たが、老朽化の為このほど地元町民多数の浄財により再建された。
 平成2年(1990)8月吉日 橘稲荷御造営奉賛委員会
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