東京都中央区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 亀島橋は元禄12年(1699年)の町触(まちぶれ)に橋普請の記載がありこのころ架橋されたと考えられる。 大正12年(1923年)関東大震災で被害を受け、内務省復興局により昭和4年(1929年)に鋼上路アーチ橋として復興されたが、戦時中の物資不足を補うため高欄等が供出された。 「亀島」の名称は、昔、瓶を売る者が多くいたからとの説と、かつて亀に似た小島があったからとの説がある。 今回の架け替えに当たり、当時のデザインを生かしつつ、地域のシンボルとして21世紀に誇れる橋とした。 江戸時代の八丁堀には町奉行配下の与力・同心の組屋敷が置かれ、新川は酒問屋を中心とした問屋の町として栄え、亀島川には全国からの物資を運ぶ船が往来し、繁栄していた。 現在、亀島橋は東京駅と大川端リバーシティ方面を結ぶ重要な橋であり、亀島川は江戸時代のなごりをとどめる貴重な川のひとつとなっている。 PR |
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永山
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