東京都中央区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 弾正橋 京橋2・3丁目~八丁堀3・4丁目 白魚橋 京橋3丁目~銀座1丁目 真福寺橋 銀座1丁目~新富1丁目 ここから北方約30mの地点には、明治の年末まで、北東から楓(もみじ)川、北西から京橋川、東へ流れる桜川、南西へ流れる三十間堀が交差していました。この交差点に近い楓川に弾正(だんじょう)橋、京橋川に白魚橋、三十間堀に真福寺橋が架かり、この三橋を三つ橋と称していました。 三つ橋は、すでに寛永9年(1632年)作成といわれる「武州豊嶋郡江戸庄図」に図示されていますが、橋名の記入はなく、橋名についても幕末までいろいろ返遷がありました。 明治末に真福寺橋、昭和34年(1959年)に白魚橋がいずれも河川の埋立てによって廃止され、弾正橋は昭和37年(1962年)、高速道路工事によって現在の姿となりました。
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永山
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