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東京都中央区の歴史
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所在地 中央区築地3-15-1 築地本願寺

 この供養塔は文久元年(1861年)森孫右衛門の200年忌に、子孫の森幸右衛門勝鎮と親族の佃宇右衛門寛敏の両名により建てられています。

 森孫右衛門は江戸時代以来、隅田川河口に佃島を築き、日本橋魚河岸のもととなる店を開いた人物とも伝えられています。

 供養塔の右側面の銘文には、孫右衛門は摂津国(大阪府)佃村の人で、二代将軍徳川秀忠の時、漁猟の許可状及び33人の漁師の漁業権を拝領したことなど、佃島の漁師と徳川家との関わりが書かれています。

 また左側面には、嘉永年間(1624~1644)に百歩四方の土地を賜り、島を築き、正保元年(1644年)2月に築城し、佃島と名付け、豊島郡に属した佃島の成り立ちや代々、佃島の名主を務めたことなどが刻まれています。これらは佃島の造営を語り伝える貴重な資料といえます。

 平成10年(1998)3月 中央区教育委員会

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コメント
はじめまして
 森幸右衛門でHITしました。
 外国奉行別手組高島吉兵衛家を再興した高島謹司の妻がこの幸右衛門の娘でした。
 このブログのおかげで森幸右衛門について判明いたしました。ありがとうございます。
【2006/12/03 21:47】 NAME[ゆぅちゃん] WEBLINK[URL] EDIT[]


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