東京都中央区の歴史
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智泉院の天水鉢(中央区民文化財) 鎧島山(がいとうさん)智泉院(天台宗)の本尊薬師如来は、平安中期の恵心僧都(えしんそうず)(源信)作と伝えられ、江戸時代には、山王権現の本地仏として、山王御旅所(現、日枝神社)内にありました。明治時代の廃仏棄釈(きしゃく)などの影響もあって、現在、この薬師如来は川崎市の等覚院に安置されています。 智泉院は、「茅場町薬師」の名で広く知られた名刹で、縁日には植木市も開かれ、江戸庶民の厚い信仰を集めていました。 瑠璃殿前の天水鉢は、天保12年(1841年)に本尊が開帳されたのを記念し、奉納されたもので、銘には当時の坂本(現、兜町)という町名や、町に住んでいた人々の名が刻まれています。鋳出した釜屋七右衛門は、通称釜七といって、江戸では有名な鋳物師でした。この天水鉢は、当時の賑わいを現在に伝えるものとして、中央区民文化財に登録されています。 平成6年(1994年)3月 中央区教育委員会 PR |
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永山
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