東京都中央区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 江戸で最初の時の鐘は、本石町3丁目(現在の本石町4丁目・室町4丁目の一部)に設置された石町の時の鐘であるといわれています。江戸市中に時刻を知らせた時の鐘は、市街地の拡大にともない、浅草・本所・上野・芝・市谷・目白・赤坂・四谷などにも設けられました。 石町時の鐘は、鐘撞き役であった辻源七の書上によると、寛永3年(1626年)に本石町3丁目へ鐘楼堂を建てて鐘を撞いたことが記されており、鐘の音が聞こえる範囲の町からは「鐘楼銭」を集めて維持・運営が図られていました。 本石町に設置された時の鐘は、何度か火災にあって破損したために修理や改鋳が行われました。現在の銅鐘には「寛永辛卯四月中浣 鋳物御大工 椎名伊豫藤原重休」の銘文が刻まれており、宝永8年(1711年)に鋳造されたことがわかります。 「石町は江戸を寝せたり起こしたり」と川柳にも詠まれた石町時の鐘は、明治をむかえて廃止されましたが、昭和5年(1930年)に本石町から十思公園内に完成した鉄筋コンクリート造の鐘楼へ移設されて現在に至っています。 PR |
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永山
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