東京都中央区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 新川は、現在の新川1丁目3番から4番の間で亀島川から分岐し、この碑の付近で隅田川に合流する運河でした。規模は延長約590m、川幅は約11mから約16mと、狭いところと広いところがあり、西から一の橋、二の橋、三の橋の三つの橋が架かっていました。 この新川は、豪商河村瑞賢(ずいけん)が諸国から船で江戸へと運ばれる物資の陸揚げの便宜を図るため、万治3年(1660年)に開さくしたといわれ、一の橋の北詰には瑞賢が屋敷を構えていたと伝えられています。当時、この一帯は数多くの酒問屋が軒を連ね、河岸にたち並ぶ酒蔵の風景は、数多くのさし絵や浮世絵などにも描かれました。 昭和23年(1948年)、新川は埋め立てられましたが、河村瑞賢の功績を後世に伝えるため、昭和28年(1953年)に新川史跡保存会によって、「新川の碑」が建立されました。 PR |
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永山
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