東京都中央区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 PR 所在地 中央区日本橋本石町4-2先 この橋は、大正15年(1926年)に造られた日本最初の鉄筋コンクリートトラスの大変めずらしい橋です。 もともと、神田の堀に架けられていた龍閑橋は、堀を埋め立てることで必要なくなりました。同じころ、この付近に開かれた新しい川に、いらなくなった橋をそのまま架けたのが、現在の龍閑橋の地名の由来となっています。まだ無名だったその新川は、橋の名前にちなんで「龍閑川」と名付けられました。今は無き龍閑川は、その昔、神田と日本橋の両区を分割するものでした。 また、「龍閑」という名については、龍閑川の西端にあった町に、旧幕府坊主の「井上龍閑」と言う人の家があったことに由来します。 所在地 中央区日本橋本石町3-1 常盤橋門は江戸城外郭の正門として奥州道に通じ、敵の侵入を防ぎ、味方の出撃を容易にする為、大きな切石で積み上げられた「コ」の字型の枡形門である。また天正18年(1590)架橋といわれる旧常盤橋は、両国橋がかかるまで江戸一の大橋であった。現在の石橋は門跡の石等も使い、明治10年(1877年)に改架したもので、洋式石橋の創始といわれている。この常盤橋の名称は、家光の時代 『 色かへぬ 松によそへて あづま路の 常盤の橋に かかる藤なみ 』 の歌に因みつけられたものといわれる。 所在地 中央区日本橋本石町4-4-26 東京都選定歴史的建造物 中央区立常磐小学校 設計者 東京市 建築年 昭和4年(1929) 常磐小学校は明治6年(1873)に開校し、現在使用されている建物は、関東大震災を機に、耐震耐火性の高い鉄筋コンクリート造の校舎として建て替えられたものである。 震災復興期の小学校建築には、装飾性を加味したスタイルと、機能を重視したインターナショナル・スタイル(コクサイ建築様式)の二つの傾向があったが、この校舎は前者の代表作である。 アーチのついた出入口、半円形の窓とその窓台、半円形の庇など幾何学的な装飾が特徴で、建築様式としては表現主義と呼ばれる。 ビルが林立する中で、今なお往時の景観を残している。 東京都 |
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永山
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