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東京都中央区の歴史
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所在地 中央区佃1-9-6

 江戸時代の中期、正徳5年(1715年)~元文3年(1738年)に在住された上野寛永寺崇徳院宮法親王が地蔵菩薩と厚く信仰され、自ら地蔵尊像を描き江戸府内の寺院にたまわり、地蔵尊造立と促されたと伝えられています。

 享保8年(1723年)寛永寺の宮様、大明院宮崇徳院宮、随宜楽院宮の三代にわたり、律院建立と熱願されたことから、寛永寺第六世輪王寺宮の推挙を得て、比叡山に安楽律院、日光山に興運律院、上野東叡山に浄名律院が建立され、その浄名律院(現在、浄名院)建立の際、山内に地蔵尊像と描かれた崇徳院宮法親王が、松をお手植えされたので、地蔵寺といわれるやにも伝えられていますが、浄名院第三十八世に地蔵比丘(びく)といわれた妙運大和尚が、八萬四千体石地蔵尊建立を発願され、崇徳院宮の描かれた地蔵尊を拝写され全国の信者に賜わったことからとも伝えられています。(八萬四千体とは、仏典に『無量壽仏 有八萬四千相十一相客 有八萬四千随形好・・・』に拠る。)

 妙運大和尚が地蔵比丘といわれる所以は、嘉永3年(1850年)日光山星宮の常観寺に寓した際、地蔵尊信仰の縁ににふれられ一千体の石地蔵建立を発願され爾後、浄名院住職になられ、本格的に八萬四千体建立の大発願をなされたからといわれています。

 佃天台子育地蔵尊には、天台地蔵比丘妙運の刻銘があり、まさしく拝写されたお姿と同じく左手には如意宝珠、右手には錫杖(しゃくじょう)を持たれております。またこの像を平らな自然石に刻まれていることも大変珍しいといわれています。

 この地蔵尊に天台の二文字があることは妙運比丘が天台宗の僧であったから、いや天台宗の教義の一つに『一切衆生悉有仏性=人は本来的に仏である』とあることから、いつの頃かは定かではないですが、こう呼ばれ親しまれてきたのではなかろうかと考えられます。

 この佃天台子育地蔵尊は、頑是ない子供衆の様々なことを、御守護下さる本願がおありになりますと同時に長壽延命・家内安全・諸願成就の地蔵尊といわれていることから古くから佃島の人々はもちろんのこと多くの人々に信仰され今日に至っております。

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コメント
何故ここに?
佃探訪の気分で歩き回っていた時にこの佃天台地蔵尊に遭遇し、感動しました。この説明文と同じものを現地でも読みましたが、せっかくここまで調べられているのであれば、何故この地にあるのかのかの類推でもいいですから説明が欲しいという気持ちになりました。そこに佃の歴史とからませた歴史ロマンが書かれれば最高だと思います。よろしくお願いします。
【2008/04/09 06:22】 NAME[牧野] WEBLINK[] EDIT[]
探して見つけて感動
今日築地観光へ出かけたので、せっかくならということで、佃へも足をのばしました。屋号を表札に掲げている家も多く、地域文化の奥深さに驚きましたが、以前モヤモヤさまぁ~ずというテレビ番組で紹介されていた地蔵尊をぶらぶら歩きで見つけてお参りしました。突き抜けていく銀杏の生命力、地蔵尊を祭る地域の人たちの思いに感動しました。ベイエリアに増えてきた再開発で下町が味気ない地域になっていくのはさびしいものと、同時に思いました。
【2010/12/29 23:00】 NAME[早矢仕(ハヤシ)] WEBLINK[] EDIT[]


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