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東京都中央区の歴史
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所在地 中央区日本橋浜町2-57先 新大橋西詰

<避難記念>

貴族院議員正四位伯爵有馬頼寧 篆額


嗚呼想ひ起すも肌に粟を生するを覺ゆるは大震火災の状況なり時は大正十二年九月一日所は新大橋の上難を避くる數萬の大衆の九死に一生を保ち得たるは實に神人一致の力と申すべきか此の時橋の兩側より狂ひに狂ひ燃えに燃え來る紅蓮の舌は毒焔を吐きつつ刻一刻と橋上に迫る退くも火進むも火身を躍らして河に投ぜむか滔々たる濁流は一氣に呑み去らむのみ進退維れ谷り號叫の聲天に漲り慘状目も當てられす此の時大衆は橋上に御遷座あらせられたる水天宮小網稻荷神社  玄冶店 橘神社の御靈代を伏し拝み神助を熱禱したり又警官在郷軍人其他有志の人々は火を導く恐ある荷物を悉く河中に投せしむ中には貴重の物とて泣きて拒みしも萬人の生命には替へ難しとて敏捷果斷なる動作は寔に時宜を得たる處置なりき漸く人享を盡し神助を待ちたるに夜も明け火も鎮まりて大衆は始めて我に還り知るも知らぬも再生の思をなして喜び合ひたり且つ五大橋中此の橋のみ災害を免れ得たるは正に神助と人の力となりけり其後法木徳兵衛主唱し森田恒一加藤肆郎庄野又兵衛之に賛して發起者となり此の橋上にて免れたる人々相集り大震火災新大橋避難記念會を組織し毎歳當日を期して水天宮に報賽の祭典を行ひ同橋上に集りて當時を追憶し來る乃ち本年は満十回に當るを以て思出深き新大橋西側の一隅に碑を建て事を叙して之を永久に記念となす
 昭和八年九月二日
   水天宮社掌 樋口悌次郎撰
  
 荷葉山岸惣書

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